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第四章 東大路大輔

そこは交差点だった。四車線道路と六車線道路の交差する大きな交差点。歩道にはアーケードがかかっており、四隅には巨大な、建築規制により高さ制限のあるこの地域において可能な限りめいっぱい巨大な商業ビルがそびえ立っている。このあたりの道路はいつも混雑しており、特に市営バスが停車すると後ろに渋滞ができた。そのたびに交通が一時的に機能不全となる。交通を血流に見立てると、市営バスは悪玉コレステロールにあたる。バスの停車は血管における血栓に相当する。交差点周辺は臓器の密集する繁華街であるため、バイパス手術を行うこともできずいつも高血圧と不整脈を引き起こす。それが街の血流を乱し、動脈瘤といった渋滞や、破裂などの事故に至っていた。

昼の交差点は、遠い国からきた観光客に埋め尽くされた。シアン、マゼンダ、イエロー、様々な色とその中間の肌、三角形、五角形、七角形の骨格をした顔、幾何学模様、植物模様、地獄絵図を描いた服装、図鑑の各ページをつぎはぎしてごちゃまぜにしたインデックスがそこにあった。その先にはしっかりとルーツが書き込まれている。それら全ての行き着く先は、一冊の書物。嗣薹の書は、歴史を記した書物としてとらえられていたが、同時に信仰の対象でもあった。そこには既に起こったであろうできごとと、最近記憶に新しいできごと、まだ起こっていないできごとが記されていた。ある一定の人たちは、起こってない部分を予言として読んだ。予言として読まれた部分は日が経つにつれ、歴史としてより分けられた。

夕方の交差点は黒服で埋め尽くされた。黒服は歩道に併設された地下の出口から続々と流れ出てきた。信号の前にたまりをつくり、信号が変わると再び流れ出した。色鮮やかな光が消えては移動する車道を動脈と見るなら、黒服がゆるやかに流れる歩道は静脈だった。不純物を含み、異臭をはなつ。

「よろしくおねがいしまーす」

「我々は、シリアにおける難民の生活を支援するために、」

東大路大輔が受け取った紙は半透明の原稿用紙だった。小学生の頃に作文を書かされた、緑の罫線で400字詰めのマス目を引いたものだ。そこにはぎっしりと文字が敷き詰められている。枠外には④と番号がふられていた。原稿用紙をわたした若い女性―薄い化粧を目立たせる肌のうるおいと無垢な表情からおそらく大学生だろう―は東大路大輔にしっかりと目を合わせて微笑み、また別の通行人へ声をかけていた。

「なあ、ちょっと」

東大路大輔は女性に声をかけようとしたが、女性は別の女性に声をかけてビラを配った。そこには頭に布を巻いた褐色の少年が写り込んでいた。女性は東大路大輔の声に気づかずビラを配り、また別の通行人に声をかけていた。

「やれやれ、だぜ」

東大路大輔は間に割って入るほどのことではないと思った。原稿用紙を折りたたんでブリーフケースにしまうと、信号をわたり橋の方へ向かって歩いた。風が冷たかった。風は橋をわたるときに川の冷気を含む。長い冬を終え、日照時間を取り戻したこの季節になると、黒服は風通しのよいものへ変わっていた。冷えた空気が歩行者の肌を刺す。交差点を離れ、橋のそばまでくると黒服はわずかになっていた。橋の向こう側からは白面に黒い筋を描く人たちがスカーフをたなびかせながら底の高い靴をこつこつと鳴らし歩いてきた。それは嗣薹の書のどこかに書かれていた情景だった。彼らが書を模しているのか、それとも彼らを見越して書が記されたのか、順番はあいまいだった。

東大路大輔は自宅に戻ると、テーブルに置いたSurfaceを立ち上げ、黒服を脱いで冷蔵庫から缶ビールを取り出した。Surfaceの画面を走らせ、録画していた映像を再生した。仕事終わりにビールを飲みながら映像を鑑賞するのが日課になっていた。ながめる映像はいくつも種類があり、ひとつあたり30分、それが週に一度更新され、だいたいは12週で終わった。そのうちのいくつかは毎週最後まで見続け、いくつかは途中で見るのをやめた。次のシーズンに入ると、これまで見ていたものは昨日のこんだてのようにきれいに忘れた。限られたわずかな映像だけが、別れた恋人のように記憶に残り続け、しかしやがては同じように忘れ去られた。その日再生された映像は、何週目かの続きだった。

それは、天井が高く広々とした建物から始まった。壁には無数の直線が引かれている。空間の奥からは黄緑色の光が照らされ、てまえには制服を着た赤毛の女性が立っている。

「ウォルターよ、君には、むしろ君たちにはと言ったほうがいいかな、我々には、と言ってもいい。ともかく、取り扱えないものなんだよ、ウィリアム先生が死に、リチャード先生もいなくなった今ではな。君はせいぜいその少女を飼い慣らすことしかできまい。私も同じさ、ある意味においては。君と違うのは、連れ添っているのがこのケニトラと、わかるか?この子は君のそのみすぼらしい少女とは違い、私の意思よりもはるか先へと進んでいる。まるで未来が見えているようだ。ウィリアム説の計算式も彼の行動を逆算して当てはめることによってのみ前へ進んだ。これはありえないことだよ。通常ならな。しかしながら事実だ。何よりもこの眼の前にいるケニトラが体現してくれている。私自身はいてもいなくても同じことだ。彼が私を導いていると言っても過言ではない。私だけではない。ウィリアム説も今となっては、彼の行動のあとづけぐらいにしか意味を持たない。先生は彼より先に理に触れたかもしれないが、結局彼より先に進むことはかなわなかった。君たちも同じだ。彼の前では共に等しい存在だ。しかし今のところ彼には補助線が必要だ。正確に言えば、彼に必要なのではない。我々にとって必要なのだ。彼を理解し、彼に付き従う人間が必要なのだ。彼をそのままにしておいても、やがて一人で突き進むことは間違いない。ではその功績は誰が評価するのか?彼の切り開いた道をかみくだき、その恩恵を万物に知らしめる役割を誰が担うのか?私は彼の付属物に過ぎないのだ。ウォルターよ、なぜそこに立つ?なぜ少女は筒を構えている?」

ケニトラと呼ばれた少年はその間も、広い台の上にばらばらになった紙をたぐりよせていた。そして空中に指を広げ、ボタンを押すような仕草をした。

「少佐、その名前はあなたがつけたのかい?カティーナに、ケニトラ、スペルも似ている。まるで母子のようだ」

ウォルターは頬をゆがめた。

「別に撃とうってつもりはない。これの意味は、少佐、僕らだってあなたが思っているよりも重々承知している。あなたがたに言われ、ただドロを集めていたわけじゃないんだ。こんなところでぶっ放したって、ほら、そこにいる彼が全部解いてしまうんだろ?彼女が構えてしまっているのは、単にこれまでの習慣からさ。そりゃあ僕には可逆性拡散理論なんて全く理解できない。それはもちろん彼女も同じさ。しかしね、その意味は肌で感じている。やつらのことも、厄災のことも。それは元に戻らないんだろ?だったらその先にはいったい何があるってんだ。僕はわけもわからずこうしてここに来たわけじゃない」

カティーナ少佐は腕を組み、重心を片足に移動させた。身体のサイズに合った制服は、重心が乗った尻の持ち上がりを形にして見せた。

「私が名付けたかと聞いたな」

カティーナ少佐はウォルターの目をとらえた。

「そうではない、偶然だよ。名付けたのはむしろ、その子だ。君のかたわらにいる、ケニトラと比べればとるにたらない少女だ」

カティーナ少佐は顎を上げ、頭からボロ布を巻いた少女を鼻先で指した。少女は糸で吊られたように真っ直ぐ立ち、細長い銀の筒を脇に抱え手を添えていた。少女の眉はゆがんでいた。目線はカティーナ少佐ではなく、ウォルターにでもなく、広い台の前で紙面を追いかける少年に向けられていた。

監督・脚本  烏丸 洋介マン

東大路大輔は違和感を覚えた。映像が終わるとキッチンに立ち、鍋に湯をはりながら、違和感について考えてみた。監督の名前はふざけていたが、問題はそこではなかった。あの映像をどこかで見たことがあっただろうか。否。映像については先週の回さえ見ておらず、今回が初めてだ。違和感は、既視感ではない。既視感と違和感は別物であり、新しく脳細胞に刻まれた映像に対してerrorの信号が出た。違和感とは、つまり、何かが違うと感じたのだ。違う?何と何が違う。今回の映像と、別の何か。別の何かとは何だ。

翌日、鑑定評価の途中に昼休憩をとるため、東大路大輔は現場近くのコメダ珈琲に入った。評価資料の束をテーブルに置いてクラブサンドとコーヒーを注文し、ブリーフケースに入れていたスマートフォンを取り出そうとしたときに一枚の紙片が目についた。それは昨日の夕方帰宅途中、ビラ配りの女性から受け取り、折りたたんでしまったままにしていた半透明の原稿用紙だった。取り出して広げると、マス目には文字が敷き詰められている。枠外には④の番号。書かれている内容は、

男は何度もここに来たことがあるように慣れた様子でIDチェックを受け、入口の奥へと向かっていった。少女はそのあとを追いかけるようについていった。奥へと続く廊下は男と同じような制服を着た人間が行き来していた。そのかたわらには子供を連れているか、もしくは一人か、または制服同士が連れ添っていた。連れられている子供は制服と手を繋いでいる者もいれば、リードにつながれている者もいる。たいていはうつろな目をしているが、中には感情を目にともす者も見かけた。彼らの目に浮かぶ感情は、少女が知る類のものもあれば、知らない類のもの、まだ自覚していないものもあった。廊下の奥からは黄緑色の光がもれて広がっていた。

「今日はひとつ、試験を受けてもらう」

男はとなりに誰もいないかのように、口元でつぶやいた。

「この試験は僕らにとって必要なものだ。君には必要ないかもしれんが、無理にでも適合してもらうことになる。もし仮に適合しなくとも同じことだ。別の人間があてがわれる。たとえば、そうだ、前に君から聞いた、かつて同じ場所で暮らしていた少年などが対象になると考えていい。もちろん彼ではないかもしれない。しかし結果は誰であれ同じことだ。特別な適性を備えた人間など、いまだかつて見つかった例はない」

続く[4273文字]